1600年から1750年までの約150年間を指して、バロック時代と称しています。そんなバロック時代に演奏されていたのがバロック音楽です。
今から250年以上前ですから、現代の私たちにわからないことがあっても不思議ではありません。
このページでは、以下のようなバロック音楽に関する疑問について探っていきます!
- バロック音楽にはどのような特徴があったのか?
- バロック時代の時代背景は?
- どのような作曲家が活躍していたのか?
バロック音楽の特徴は?
バロック音楽は、いわゆる「バロック時代」につくられた音楽作品のことを指します。
バロック時代の音楽は、どのような特徴を持っていたのでしょうか?詳しく見ていきましょう。
バロック時代の始まりと終わり
バロック時代は、一般的には160年から1750年を指します。
バロック時代の始まりを1600年としているのは、現存する最古のオペラ「エウリディーチェ」が上演された年だからです。
つまり、オペラはバロック時代に生まれたものであり、オペラの誕生と共にバロック時代が始まったのです。
そして、J.S.バッハが亡くなった1750年が、バロック時代の終わりとされています。絶対王政の時代とほぼ重なります。
バロック音楽と言えば、ほとんどの人が最初に思い浮かべる名前はバッハです。
そんな、バロック時代を象徴するバッハの死をもって、バロック時代の区切りとしたのですね。
バロックと呼ばれる理由は?
続いて、「バロック音楽」「バロック時代」などという名称が使われるようになった理由を見ていきましょう!
実は、もともと「バロック」という言葉は、建築・美術用語です。
「バロック」という言葉は、極端な明暗のコントラスト、意図的にバランスを崩した動的でダイナミックな表現を指して、ポルトガル語由来の「ゆがんだ・いびつな真珠」を意味するものです。
そんな、時代を象徴する「バロック」という建築・美術用語が音楽にも流用されて、「バロック音楽」という言葉が使われるようになったのです。
バロック時代の音楽ジャンルは?オペラや協奏曲の誕生
冒頭で述べましたが、バロック時代にまず誕生したのはオペラです。
古代ギリシャ劇を復活させようという試みから、一人が旋律を歌い、チェンバロ(古鍵盤楽器)やリュート(古弦楽器)の伴奏がつく歌曲形式が誕生しました。このような歌曲形式は、モノディー形式と呼ばれます。
今となってはめずらその前のルネサンス時代は複数のパートを同時に歌うことが当たり前でした。モノディーのような歌曲形式は、今となってはめずらしくありませんが、当時としては言葉や旋律を際立たせる、斬新な発想だったのです。
ここから通奏低音が生まれます。通奏低音とは、旋律に対するベースライン(低音)があり、その間を埋めるように即興的に和音を入れていくというものです。
これが切れ目なく続いていくことから「通奏」低音と言われました。バロック時代は通奏低音の時代と言われるほど、バロック時代のすべてのジャンルで使われました。
楽器が大きく発達したのも特筆すべき点です。
ヴァイオリンの名器として有名なストラディバリもこの時代に生まれました。他にもフルートやオーボエなど、今でも使われている楽器の原型が作られました。
楽器の発達で高度な演奏技術を実践することが可能になり、独奏曲が増えたのも大きな特徴です。
協奏曲というジャンルが生まれたのもバロック時代です。独奏パートと合奏パート、それぞれを競わせるようにコントラストをつけることで、ダイナミズムを求めました。
また、急~緩~急という楽章構成でもコントラストをつけ、躍動感を生み出しました。
オーケストラという楽器編成の原型ができたのもこの頃です。また、2つの旋律楽器+通奏低音というトリオソナタの楽曲も、バロック時代には非常に多く書かれています。
バロック時代に生まれた和音や音階
バロック時代より前の時代は、「ルネサンス時代」と呼ばれていました。
ルネサンス時代の音楽では、それぞれが独立した旋律を同時に奏でる形式が主流でした。このような形式を「多声音楽」(ポリフォニー)と呼びます。
多声音楽においては、偶然に和音のような複数のメロディの調和が生じても、それは意図的なものではありませんでした。
しかし、バロック時代になると意図的に和音を使うようになり、旋律を和音が柱のように支える形になったのです。
また、バロック音楽以前には、ドリア、フリディア、リディア、ミクソリディアなど、教会旋法と呼ばれるたくさんの伝統的な音階が用いられていました。
これらの音階が、バロック時代には長音階と短音階の2つに集約されました。
バロック時代には、長音階と短音階が広く用いられるようになったことにより、調性音楽の骨組みが完成したのです。
バロック時代の鍵盤音楽は、クラヴィーアと総称されるチェンバロやクラヴィコードで演奏するための楽曲であり、その多くが複数の舞曲からなる組曲でした。
当時の舞曲は、テンポや拍子が変化する一方で、調性は曲を通して変化しないのが一般的です。
舞曲の主役はアルマンド・クーラント・サラバンド・ジーグと呼ばれる形式のものが主役であり、それらにガヴォットやミュゼット、メヌエット、パヴァーヌなどの要素が加えられました。
これらの舞曲は基本的に2つの楽節から成る、いわゆる「二部形式」と呼ばれる形式であり、一般的にはそれぞれの楽節がリピートされます。
バロック音楽では、その他の鍵盤音楽として、パッサカリアやシャコンヌ、プレリュード、フーガ、リチェルカーレ、トッカータなどの形式が見られました。
バロック音楽家らしくないバッハ!?
バッハには、しばしば「対位法」というイメージがついて回ります。
対位法は、主旋律に対して和音による伴奏づけを行うものではなく、主旋律とは別の新たな旋律を提示するものです。
ここまでで、バロック音楽の特徴は和声にあると説明したため、バロック=バッハ=対位法と思っていた方は、あれっ?と疑問に思うかもしれません。
実は、バッハはある意味、ちょっと立ち位置が違うのです。
バッハが、生涯のほとんどをプロテスタント教会におけるカントル(教会音楽家)として過ごしたことと関係があるかもしれません。
プロテスタントは神と個人の関係を重視しているので、カトリックとくらべると質実剛健ですから。
カントルは、教会にまつわる一切の音楽業務に責任を持つ重要な役職でした。礼拝の時に讃美歌の伴奏でオルガンを弾いたり、教会行事のために作曲したり、聖歌隊の指導を行ったり、その仕事内容は多岐にわたりました。
バッハは当時の主要ジャンルだったオペラの作曲にはまったく携わっていません。その代わり、オペラから演技を除いたような形式、カンタータをたくさん作曲しています。
当時、バッハのスタイルは時代遅れだと思われていたようで、作曲家としてよりも、オルガニストや即興演奏の大家として認められていました。
それが後世になると、バロック音楽の集大成、あるいはその後の音楽の源流のように位置づけられ、バッハに対する評価は大きく変化してったのです。
バロックの表現のキモはコントラスト
ここまで見てきたように、バロック音楽の表現は、和声による複数の旋律のコントラストが鍵を握ります。均衡の美よりも落差のインパクトを重視していました。
まるで舞台でスポットライトが当てられるかのように、パッパッと切り替わっていくイメージでしょうか。
バロック音楽の魅力である、シンプルさと明快さ、そして躍動感は、このようなコントラストから生まれていると言えるでしょう。
バロック時代の時代背景は?ローマ・カトリック教会のプロパガンダと絶対王政
では、バロック音楽の裏にはどのような時代背景があったのでしょうか?確認していきましょう!
バロック以前の中世には、ローマ・カトリック教会が絶大な支配力を誇っていました。
しかし、1517年ルターの宗教革命によりプロテスタントが台頭し、1527年のローマ略奪後にはローマ・カトリック教会はカール5世の支配下に置かれます。
ローマ・カトリック教会はその権威を回復すべく、壮麗な大聖堂に劇的な空間を求めるようになりました。巨大な宗教画、数々の彫像、教会内には窓を多く設置し、差し込む光が神秘的な雰囲気を生み出す効果を生んでいました。
天井にはフレスコ画と呼ばれるだまし絵効果のある絵が描かれていたためさらに奥行が感じられ、巨大なパイプオルガンの圧倒的な響きで圧倒することで、まるで天国にいるかのような心地がします。つまり、当時の音楽は、信者を惹きつけるための手段のひとつだったのです。
このような音楽が、後にはフランスなど周辺国の王の権力を誇示する手段として取り入れられるようになりました。
イベントごとにお抱えの音楽家に音楽を作らせ、音楽家は依頼主の意向に沿って音楽を作ります。つまり、当時の音楽家は、現代でいうサラリーマンのような立場だったのです。
まとめると、バロック時代の音楽家は、教会や王族のお抱え音楽家として、雇い主の意に添うように音楽をつくっていた、ということです。
バッハやヘンデルがかつらをかぶっているのも、当時宮廷ではかつらをつけるのが礼儀だったからで、サラリーマンがスーツを着るようなものですね。音楽にも、劇的な表現が求められました。
バロック時代の作曲家の一覧!バロック音楽はイタリアからフランス・ドイツへ
では、バロック時代に活躍した作曲家はどのような人物だったのでしょうか?
作曲家の特徴を時系列に見ていきながら、バロック時代の変遷について思いをめぐらせていきましょう!
バロック時代初期の作曲家
バロック時代の初期と言えば、まずは古代ギリシャの音楽悲劇の復興を追求する過程で、オペラが誕生が誕生したことが特筆すべき点でしょう。
そこからモノディー様式が生まれ、レチタティーヴォやアリア、通奏低音へと発展していきました。
まずは、初期のバロック時代に活躍した作曲家たちをご紹介します。
ペーリ(1561~1633・イタリア)
ペーリは、現存する最古のオペラ「エウリディーチェ」を作曲した人物です。
モノディー様式を確立したことで有名です。
カッチーニ(1545頃~1618・イタリア)
カッチーニは、ペーリと共同でオペラ「エウリディーチェ」の作曲に関わり、モノディー様式の確立に寄与しました。
曲集「Le Nuove Musiche (新しい音楽)」が有名です。
モンテヴェルディ(1567~1643・イタリア)
モンテヴェルディは、感情と結びついた音楽表現を推し進めまた作曲家です。
効果的な合唱と楽器の扱い方、明瞭なメロディー、不協和音の使用が特徴。
代表作に、オペラ「オルフェオ」「ポッペアの戴冠」、宗教曲「聖母マリアの祈り」などがあります。
オペラ「オルフェオ」は作曲家が各声部の楽器指定を行った、初めての作品だと言われています。
スウェーリンク(1562~1621・オランダ)
スウェーリンクは、即興音楽の大家であるとともに優れた教師で、北ドイツ・オルガン楽派(17世紀から18世紀前半にかけて北ドイツで活躍したオルガン奏者・作曲家の総称)の育成に寄与しました。
数多くの鍵盤曲や声楽曲を残しています。
中期バロックの作曲家
続いては、中期バロック時代です。
イタリアで起こったオペラをはじめとした新しい音楽の流れが他の国々にも影響を与えていくことになります。
この時代に活躍した作曲家と、その功績を簡単にご紹介します。
リュリ(1632~1687・イタリア→フランス)
宮廷バレエがさかんだったフランス。踊り手として出演したリュリをルイ14世は大変気に入り、踊り手・作曲家として王に仕えるようになります。
その後、イタリアのオペラがフランスでも上演されますが、イタリア風オペラはフランス語に合わないとして「トラジェディ・リリック(抒情悲劇)」を打ち立てました。
寓意的なプロローグを持ち、王の高貴さと戦での勇敢さを讃美する内容で、ルイ14世自身がバレエの名手だったこともあり、バレエの見せ場が盛り込まれているのが特徴です。
最初の荘重な付点リズムによる部分に続く速いフーガ風の部分という、対照的な2部分によるフランス風序曲の構成を確立したのもリュリです。
圧倒的な影響力を持っていたリュリによって、その後のフランスのバロック音楽は独自の発展を遂げていきました。
ブクステフーデ(1637~1707・ドイツ)
ブクステフーデはオルガニストとして名声を博した人物で、若き日のバッハがその演奏を400㎞の道のりを歩いて聴きに行ったというのは有名なエピソードです。
北ドイツ・オルガン楽派の流れを引き継ぐ一方、チャコーナ、パッサカリアといった形式ではイタリア音楽の影響も見られます。
パッヘルベル(1653~1706・ドイツ)
パッヘルベルのカノンが有名ですね。他に、オルガン曲のシャコンヌやトッカータなどが知られています。
コレッリ(1653~1713・イタリア)
コレッリは、トリオソナタやヴァイオリンソナタ、中でも「ラ・フォリア」が有名です。
「コレッリ様式」と呼ばれ、ヨーロッパ中に影響を及ぼしました。ヴィヴァルディやバッハにも大いに影響を与えています。
パーセル(1659~1695・イギリス)
イギリスではリュートの伴奏による独唱曲(リュートエア)がさかんで、それが次第にイタリアのモノディー様式の影響を受けるようになりました。
また、劇音楽ではフランス風序曲や舞曲の形式を取り入れ、独自に発展させていきました。
そんなパーセルの代表作に「ディドーとエネアス」「妖精の女王」などがあります。
後期バロックの作曲家
そして、後期バロック時代へと続きます。
後期バロック時代にはすでに、イタリアでは古典派の萌芽が見られました。
この時代に活躍していた作曲家たちの足跡をたどっていきましょう!
ヴィヴァルディ(1678~1741・イタリア)
アントニオ・ヴィヴァルディは500を超える協奏曲を残した多作の作曲家で、中でも「四季」が非常に有名です。
トゥッティ(全奏)で繰り返されるメロディーとソロ(独奏楽器)の技巧的な部分が交互に現れる、リトルネッロ形式の協奏曲を確立したと言われています。
明快で親しみやすい音楽が特徴です。
クープラン(1668~1733・フランス)
クープランの主要な位置を占めるのは4巻のクラヴサン(=チェンバロ)曲集で、人名、風俗、自然、感情といった優雅で象徴的な題名が特徴的。
演奏論「クラヴサン奏法」では、新しい奏法やイタリア音楽とフランス音楽の違いについて述べられています。
ラモー(1683~1764・フランス)
ラモーの前半生は主にクラヴサン曲を書き、大きな足跡を残しています。和音の大胆な使い方が特徴的です。
リュリの死後のフランス風オペラを継承し、「イポリートとアリシー」「優雅なインドの国々」など数々の作品を作曲。
理論家としても有名で、機能和声と調性を体系的にまとめた「和声論」は、近代和声学の基礎として重要な理論書です。
テレマン(1681~1767・ドイツ)
テレマンは、イタリア、フランスの最新の様式を取り入れ、幅広い種類の音楽を多数作曲しました。
ドイツにおいて同時代人から最も評価の高かった作曲家です。有名なのは「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」など。
ヘンデル(1685~1759・ドイツ→イギリス)
ヘンデルは、26歳でイギリスにわたり、主にオペラやオラトリオの分野で活躍した作曲家です。
アリア「オンブラマイフ」やオラトリオ「メサイア」が有名です。
J.S.バッハ
バッハも北ドイツ・オルガン楽派の系譜につながると言えるかもしれません。
協奏曲や室内楽などでは当時のヨーロッパで流行していた様式を取り入れていますが、フーガに見られる対位法への傾倒が特徴的です。
バロック時代をまとめてみると…
イタリアで生まれたバロック音楽がヨーロッパ各国へ伝播していく中で、まずフランスが独自の発展を遂げ、追ってドイツがイタリアとフランスの様式を取り入れつつ独自性を発揮していった、という風に読み取ることができます。
いくつかバロック時代の作品も挙げていますが、機会がありましたらぜひ聴いてみてください。
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