今回は、特別な鍵盤演奏技法による音楽・「ピエス・クロワゼ」(pièce croisée)についてのお話です。
ピエス・クロワゼとは、「交差する曲」を意味する言葉で、右手と左手を交差させて演奏します。
ピエス・クロワゼの特徴は、基本的にコントラスティングダブルと呼ばれるタイプの二段鍵盤チェンバロで演奏されることにあります。
このページでは、ピエス・クロワゼの世界と、ピエス・クロワゼの演奏を可能にするチェンバロの仕組みについて解説していきます。
ピエス・クロワゼとはどのような音楽なのか
「ピエス・クロワゼ」は元々フランス語で、pièce croiséeです。pièceは「音楽作品」を、croiséeは「十字・交差」を表します。
したがって、ピエス・クロワゼは「交差する曲」を意味します。
ピエス・クロワゼの特徴は、右手と左手で同じ音域を重ねて弾くことで独特の音響効果を生み出すことです。
ピエス・クロワゼは、右手と左手で同じ音域を演奏するため、二段鍵盤が必要になります。
さらに、二段の鍵盤を同時に演奏できるような仕組みが必要であるため、チェンバロの中でも後ほどご紹介するカプラーという機構が備わったコントラスティングダブルというタイプが適しています。
具体的なイメージをつかんでいただくため、ピエス・クロワゼの演奏動画を以下に載せておきます。
動画中の、右手と左手が重なるように演奏されている部分こそ、ピエス・クロワゼの際立った特徴です。
https://www.youtube.com/watch?v=STm83fDhyxg
ピエス・クロワゼのイメージをつかんだところで、二段鍵盤のチェンバロについて詳しく見ていきましょう。
二段鍵盤チェンバロの始まりはトランスポージングダブル
チェンバロには、ピアノのような一段鍵盤だけでなく、電子オルガン(エレクトーンなど)のように二段鍵盤のものがあります。
そして、二段鍵盤のチェンバロは本来、トランスポージングダブル、日本語では「移調二段鍵盤チェンバロ」と呼ばれるものでした。
トランスポージングダブルのチェンバロは、二段になっている上下の鍵盤が左右にずれています。
たとえば、上の鍵盤がドのキーだとすると、下の鍵盤にはファのキーがあります。以下の画像のようなイメージです。
どちらも同じ弦を鳴らすように設計されているので、下のファのキーを鳴らすとドの音が鳴ります。
つまり、トランスポージングダブルのチェンバロは、ある音に対応する形の鍵盤を4度下に移した(=移調した)「移調鍵盤」なのです。
トランスポージングダブルは、後に登場するカプラー式チェンバロと呼ばれる形態のチェンバロとは、大きく異なる点があります。
それは、上下の鍵盤を連動させるカプラーという機構が存在しないことです。カプラーとは、後のチェンバロに登場する、上下の鍵盤の音を同時に演奏することを可能にする仕組みです(後述)。
カプラーが備わっていないため、トランスポージングダブルのチェンバロではピエス・クロワゼは演奏されていませんでした。
ところで、バロック時代には、フランドルのリュッカース一族が有名なチェンバロ制作工房を営んでいました。リュッカースは、ヴァイオリンで言うところのストラディバリウス的な存在です。
リュッカースの作った二段鍵盤チェンバロはすべて、この「トランスポージングダブル」でした。
元々トランスポージングダブルであったチェンバロは、試行錯誤の末、次第にその形態が変化していきます。
フランス発の二段鍵盤チェンバロ・コントラスティングダブル(カプラー式二段鍵盤チェンバロ)
その後、フランスでは17世紀半ばから、2組の8フィート弦*を独立して演奏できるようにした、コントラスティングダブル(カプラー式二段鍵盤チェンバロ)が作られました。
*チェンバロの音域は、高い順に4フィート、8フィート、16フィートのように表す。
通常、二段鍵盤タイプのチェンバロと言えば、トランスポージングダブルではなく、コントラスティングダブルのことを指します。
コントラスティングダブルの鍵盤は、トランスポージングダブルの左右にずれた鍵盤と異なり、上下の音の位置が重なっています。
図で示すと、以下のような配置になっています。
コントラスティングダブルタイプのチェンバロの特筆すべき特徴として、「カプラー」という機能が備わったことが挙げられます。
カプラーは英語で"coupler"と書きますが、"couple"(日本語で言うカップル)という単語の派生形です。つまり、2つのものを1組にするものがカプラーなのです。
チェンバロにカプラーという機能が備わったことで、それまで別々に演奏していた上の鍵盤と下の鍵盤を、同時に演奏することが可能になりました。
そして、ピエス・クロワゼは、カプラーが備わったコントラスティングダブルチェンバロの登場によって演奏が可能になりました。
蛇足ですが、現代でも復元モデルとして人気チェンバロに、「リュッカース・ラヴァルマンタイプ」という形態があります。
このタイプのチェンバロは、前述のリュッカースのトランスポージングダブルをフランスでコントラスティングダブルに改造して、音域を広げたものを指しています。
ピエス・クロワゼの具体的な曲は?
コントラスティングダブルのチェンバロが最初に登場したのがフランスだったため、最初にピエス・クロワゼが見られるようになったのはフランスでした。
有名なところでは、フランソワ・クープラン(1668~1733)作曲のクラヴサン曲集の中の一曲「ティク・トク・ショク」(第18オルドル)があります。
その他に、「バガテル」(第10オルドル)、「ねんね、あるいはゆりかごの愛し子」(第15オルドル)、「優しいジャヌトン」「ゼジル」(第20オルドル)、「交差するメヌエット」「手品」(第22オルドル)があります。
フランソワ・クープランの伯父にあたるルイ・クープラン(1626頃~1661)が作曲したハ長調のクーラントとメヌエット、ラモー(1683~1764)が作曲した「3つの手」もピエス・クロワゼです。
ピエス・クロワゼの代表曲|J.S.バッハの交差曲
加えて、J.S.バッハの時代には、チェンバロが主要な鍵盤楽器であったため、バッハはピエス・クロワゼの代表的な曲を残しています。
バッハが(カプラー式)二段鍵盤チェンバロを前提にして書いた曲には、「イタリア協奏曲(BWV971)」「フランス風序曲(BWV831)」「ゴルドベルク変奏曲(BWV988)」などがあります。
いずれも同じ音域を両手が交差して、縦横無尽に行き来する曲が含まれています。
これらの曲は、厳密な意味ではピエス・クロワゼではないのかもしれません。なぜなら、技巧があれば、ピアノでも弾けなくはないからです。
しかしながら、二段鍵盤を念頭に入れて作られた曲であろうことから、一段鍵盤のピアノではどうしても、表現が限定的になってしまいます。当時の周流であった二段鍵盤で弾くことによってこそ、より自由な表現が可能になると言えるでしょう。
ピエス・クロワゼの楽しみは演奏することにあり
実際のところ、ピエス・クロワゼは聴くよりも弾くほうが楽しいかもしれません。
慣れないうちはどちらを弾いているかわからなくなって、混乱するかもしれません。しかしながら、音を重ねる立体的な響きを表現できた時の喜びもまた一入(ひとしお)です。
ピアノでは味わえないその響き、機会があればぜひ楽しんでみてください。
とはいえ、チェンバロはいまやそう簡単に手に入るものではありません。そこで、最近は電子チェンバロなるものがあるので、試してみてはいかがでしょうか。
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