ピアニストの条件は?

ピアニストの条件は?ピアニストと名乗るための基準を考察

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ピアノを弾く人はたくさんいますが、「ピアニスト」と呼ぶにふさわしい基準って、何だと思いますか?

私は先日SNSで、「ピアニストと名乗っていい基準て何だと思いますか?」というような内容の投稿を見かけました。

自分はピアノを弾くけど、ピアニストと名乗っていいものかどうか・・・そんな迷いの気持ちが伝わってきます。

そこでこのページでは、どこからがピアニストなのかその基準や、なぜピアニストと胸を張って言うのがためらわれるのか、について考察していきたいと思います。

※あくまで個人の意見であることをご了承ください。

ピアニストという言葉には主観的なものと客観的なものとがある

恐らく、「ピアニストの条件って何だと思いますか?」と質問したら、回答者によって答えは様々に異なるでしょう。

なぜなら、人によってピアニストであると認識する基準は異なるからです。

だからこそ、自分をピアニストと名乗って良いのかどうか、迷ってしまう人もいるのだと考えられます。

ピアニストという言葉を考える時、それが主観的なレベルなのか客観的なレベルなのかを分けて考える必要があると私は思います。

すなわち、自分自身のことをピアニストと思うのか(主観)、他人からピアニストと思われるのか(客観)は違う、ということです。

主観的なレベルで言えば、自分がピアノを弾くことが好きで、継続して練習している期間の最中であれば、自らをピアニストと呼ぶことには何も問題がないでしょう。

たとえば、自分の子どもが「ねえねえ、聴いて聴いて、メヌエット ト長調が弾けるようになったよ。ピアニスト公生のリサイタルを始めるよ♪」なんて言っていても、誰も否定はしないでしょう。

自分が思う分には、ピアノを愛する心があって実際にピアノを弾いているのであれば、誰でもピアニストと名乗ってよいのです。

別の例で言えば、私はDance Dance Revolution(以下、DDR)といういわゆる音ゲーをたしなみますが、DDRをプレイする人は、自分のことを気軽に"DDRer"と名乗っています。

ピアニストと違って、すごく気軽に言える雰囲気がDDR界隈にはあります。

そんなDDRとピアノの本質的な違いはどこにあるのでしょうか?

その違いは、ピアノの持つ、聴く人が存在する、という前提にあります。

音ゲーは、上手くなると周りの人も見て楽しむようにはなりますが、基本的には自分だけで楽しむものです。

一方で、音楽というものは、演奏者だけでなく、聴き手もまた重要な存在です。

つまり、音楽は、自分のためという主観的な側面だけでなく、他者のためという客観的な側面をも切り離して考えることができないのです。

その意味で、ピアニストと広く社会に対して名乗るためには、「主観」だけでなく「客観」のレベルにまで視野を広げる必要があると言えます。

客観的なピアニストとは?

では、客観的なレベルでピアニストと名乗るためには、どのような条件や基準を満たす必要があるのでしょうか?考察を進めていきましょう。

まず、ピアノを習ったり学んだりしたことがあるからといって、無条件にピアニストと他人に名乗っていいものなのでしょうか?

この点については、ピアニストとそうでない人を分けるポイントは、ピアノの演奏によって人の役に立っているか、そうでないかにあるのではないかと思います。

たとえば、ピアニスト(piano -ist)ではなくサイコロジスト(psychology -ist:心理学者)の場合で考えてみましょう。

大学で心理学を学んだからといって、誰も彼もが心理学を使いこなせるわけではありません。

心理学を学んでも、その知識や技能を他人の役に立つために実際に使用している人は、そんなに多くはないでしょう。

心理学を学んで、自分の中に多少の知識や技能のたくわえがあるだけの人。このような人は、心理学を専攻した人ではあっても、サイコロジストとは呼べないと私は思います。

一方で、学んだ心理学の知識や技能を活かして、臨床の現場で人の悩みを解決したり、情報を発信して人生のヒントを与えたりしている人は、サイコロジストと呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

同様のことが、ピアニストにも言えるわけです。

ピアノを学んでも、その人の演奏を誰も聴きたいと思ってくれないのであれば、その人は客観的にはピアニストとは言い難いと考えられます。

一方で、数は少なくても、その人の演奏を聴いて感動したり、その人の演奏を聴くのを待ち望んでくれている人がいるのであれば、それは客観的な意味のピアニストであると言っても差支えないでしょう。

もちろん、そこにはプロとアマチュアの差もあると思います。ピアノの演奏技術を駆使して生計を立てているのであれば、その人がピアニストと呼ぶにふさわしいのは疑いの余地がありません。

しかしながら、お金だけが全てではありません。そんなに収益は発生しなくても、演奏をして、それを待ち望んでくれている人や楽しんでくれている人がいる、というピアノ弾きの人だって世の中に入るのです。

新しい形で言えば、YouTubeにピアノ演奏を投稿している人も、このケースに当てはまると言えるでしょう。(YouTubeでたくさん稼いでいる人はもちろんいますが、視聴者にはあまり「お金を払っている」という感覚はありません)

生演奏ではなくYouTubeであっても、投稿者の演奏を聴くことで楽しんだり感動したりしている人は大勢います。

このように、生演奏であろうと動画などの新しい媒体であろうと、ピアノの演奏技術を駆使して他人の役に立っているのであれば、その人は正真正銘のピアニストだと私は思うのです。

言い換えれば、その人のピアノ演奏を楽しんだり、聴きたいと待ち望んでいる人がいる=ファンがいる のであれば、少なくともファンにとってその人はピアニストです。

これこそが、客観的な意味でのピアニストであると私は思います。

その意味では、私は先に触れたSNSの投稿者さんの演奏動画で楽しませてもらっているので、少なくとも私にとってその人は紛れもないピアニストです。

ただ、ある人にとってはピアニストであっても、他の人にとってはピアニストではない、という場合も少なくありません。

この点について、次章でもう少し詳しく見ていきたいと思います。

補足

ところで、同じピアノを使って社会に貢献している場合であっても、ピアノの先生(piano teaher)とピアニスト(pianist)は別物かなと私は思います。

私の思うピアノ指導者とピアニストの違いは、以下の通りです。

ピアノの先生とは、ピアノの演奏技術を教わる生徒がいる人のこと。

一方で、ピアニストとは、ピアノの演奏技術を教える人ではなく、ピアノ演奏を聴いて楽しんだり感動したりしてくれる人がいる演奏者のこと。

そして、ピアノの先生とピアニストは両立し得ないものではなく、ピアノ指導者でありながらピアニストでもある人もいる、というのが実際でしょう。

「ピアニスト」と認めない人たちの存在

あるピアノ弾きの方が、一部のファンにとってはピアニストであっても、他の人にとってはピアニストではない場合もあります。

この点が、ピアニストと名乗る心理的ハードルが客単に高くなってしまう原因であると私は思っています。

他者のことをピアニストと認めない人には、大きく分けて以下の2つのタイプがあると考えられます。

  1. その人よりピアニストとしてのレベルが高すぎる人
  2. ピアノを学んできたというプライドは高いが、ピアノに関して満たされていない人

①については、当然と言えば当然です。ピアニストとしてのレベルが高すぎて、他の人の演奏を聴いたときにその要求水準が高く、簡単には他者をピアニストとして認められない場合。

これはある意味で仕方のないことです。ピアノの演奏技術が高すぎる人のお眼鏡に敵わないのであれば、その人に認められるような演奏技術を身につけるしかありません。

こればかりは、自分との戦いと言わざるを得ないでしょう。

一方で、厄介なのは②のタイプです。

音楽界隈には、ピアノ(など)を学んできたという自負があり、プライドがとても高いにもかかわらず、実生活でそれを活かせていないがために、他人に対してマウントをとることでしか自己肯定感を保てない人がいるのは事実です。

残念ながら、他人の演奏や発言などを批判し、自分の方が優れていると暗にほのめかすことで自分をアピールしようとする人は、SNS上には少なくありません。

このような人は、他人の演奏技術の粗探しをして、その人のピアニストとしての技術や人間性を否定することで、自分のピアニストとしてのアイデンティティを保とうとしているのです。

残念ながら、ピアニストと名乗ろうとして、演奏会や発信を続けていく限り、この種の人物からの批判は免れないでしょう。

ただ、このような人たちの目を気にして演奏や発信などを控えてしまうのは、もったいないことだと私は思います。

そこで、そのような批判的な人たちにではなく、別の人にフォーカスの力点を移すことを提案したいと思います。

自信を持ってピアニストと名乗るためにできること

ある演奏家の演奏を楽しみにしている人がいれば、その聴き手にとってその演奏家は紛れもないピアニストです。

ただ、自分が演奏活動をしていても、なかなか好意的な反応が得られないと、ピアニストとしての自信はなかなか持てないものでしょう。

一方で、自分の演奏を楽しみにしているという確かな手ごたえを得る機会が多ければ多いほど、ピアニストとしての自信は高まっていくはずです。

つまり、ピアニストとしての認知度を高めることこそが、ピアニストと名乗る自信を得るための最も効果的な方法なのです。(たぶん)

ここで、一旦ピアノ以外の業界に話を移したいと思います。

たとえば、企業などの活動であれば、自分たちの商品やサービスを利用してもらうために、営業や広報、マーケティングなどの認知度向上のための活動が不可欠です。

企業などは、自分たちの認知度を向上させるために、巨額の費用をかけて営業マンを雇ったり、広告を打ったりしています。

ところが、なぜか芸術の世界では、この種の認知度向上のための活動が軽視されているように見えます。(少なくとも私には)

芸術の世界で最も効果的な認知度向上のための活動のひとつは、コンクールで良い成績を収めることであると言って差し支えないでしょう。

たとえば、ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールなどの世界的なコンクールで良い成績を収めることができれば、客観的に世界レベルの演奏であるというお墨付きを得て、世界中の人に認知してもらうことが可能です。

また、日本有数のピアノコンクールであるピティナ・ピアノ・コンペティションで勝つことができれば、日本の音楽関係者に広くその名を知れ渡らせることができます。

ところが、SNSなどを見渡すと、親の敵(かたき)か?といいたくなるくらい、コンクールに拒絶反応を示すような方も少なくありません。

しかしながら、現実としてコンクールは、音楽関係者に広く認知してもらうための最も効果的な手段のひとつなのです。

その他にも、今日ではSNSやブログ、YouTubeなどの発信媒体が発達し、私たちは努力次第で多くの人に自分の音楽を届けることもできるようになりました。

これだけ認知度向上のための手段が多様化し発達してきたにもかかわらず、自分の演奏のファンを獲得できず、自信のプライドとのギャップに苦しんでいると思われる方も数えきれないほどいます。(少なくとも音楽界隈のSNSにはわんさかいます)

もちろん、批判されることは怖いものです。失敗することだってあるでしょう。

しかしながら、上でも述べたように、批判する人に目を向けても仕方がありません。

自分よりはるかに演奏技術の優れた人に対しては、その人に認められるような技能を身につけていくしかありません。

そして、他人を批判することで自我を保っている人こそ、相手にする必要がありません。そのような人は、そのエネルギーを営業活動や広報活動などの認知度向上のための活動に注げばいいのに、それをしようとしないのです。

そんな人の言葉にいちいち反応したり、ましてや認められようとすることに、果たして価値はあるでしょうか?少なくとも、私には無いように思えます。

そんな他人の足を引っ張ろうとする人たちよりも、自分の音楽をきちんと聴こうとしている人たちに目を向けた方が、きっといろんな意味でプラスになるはずです。

そして、そのような自分の演奏を楽しみにしてくれる人を一人でも多く増やすことが、ピアニストとしての自信を育むための一番の近道であると言えるでしょう。

私は、このページを読んでくださったあなたが、ピアノや音楽を愛する気持ちを活かして、ひとりでも多くの人に「ピアニスト」として慕われることを切に願っています♪

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